21日夜は、今宿さんと言う、お料理屋さんでのショーでした
埼玉で応援して下さっている社長さんと、今は亡き演歌歌手、村上幸子さんのお母様とは、
大変親しくお付き合いしているということがご縁で、幸子さんのお母様をはじめ、
地元の皆様のご協力で、今宿さんでのショーが実現致しました
ショーを遣るにあたり、4月に一度、村上市にお邪魔させて頂きました。
その際に、幸子さんのお宅にお邪魔させて頂き、お線香を上げさせて頂きました。
「感動」の一言でした
幸子さん一色のお部屋には、生前の功績が一杯でした
それを拝見し、「私もこうなりたい。」と言う思いで一杯になりました。
そして、こんなに美しく、素晴らしい功績を残し、これから沢山の可能性が有っただろう幸子さんが、
どうしてこんなに早く行かなくてはならなかったのかと、胸の詰まる思いでした。
そして、今年二十三回忌だったそうですが、23年経った今でも後援会が有ることを知り、
幸子さんの人間性の素晴らしさを感じました
そして何より、今なお、ファンで居て下さる皆様を迎え入れて下さるお母様の、
素晴らしさ、幸子さんを思われる優しさを感じました
今回も、今宿さんにお邪魔する前に、お邪魔させて頂きました。
ご自宅の入り口には、幸子さんの慰霊碑があり、
幸子さんの、不如帰が流れて参ります
優しい幸子さんの歌声に、誰もが惚れ惚れすると思います
幸子さんの歌声に惚れたと、亡くなった今でも、
後援会に入りたいと言う方がいらしたと言うお話をお伺いし、
幸子さんの偉大さを感じました
私も幸子さんの様になりたいと、改めて思いました
お母様が私に、何か辛い事が有って、何処にも話せない時には、
何も出来ないかもしれないけど、溜めないでいつでも電話しなさいね。
幸子のよになって欲しくないから。
と言って下さった時には、本当に嬉しく、温かい気持ちになりました
今回の今宿さんでは、近江綾を全く分からないにも関わらず、
幸子さんのお母様をはじめ、役員の皆様が、200人以上のお客様をお集め下さいました。
本当に「感謝」で一杯でした
今回のショーには、津軽三味線の、津軽悦子さんにご一緒頂きました
ショーの中では、幸子さんのオリジナル曲を5曲歌わせて頂きました
幸子さんとお母さんの事を思うと、涙があふれて歌えないので、
必死で頭から外して歌いましたが、「帰郷」と言う歌の歌詞には、
幸子さとお母さんを思わずにはいられず、最後の最後に涙が溢れてしまいました
幸子さんにはなれませんが、幸子さんの歌を伝えて行きたいと思いました
そして、これからは、幸子さんを目標に頑張って行きたいと思いました
ショーの時間が遅くなり、心配致しましたが、お見送りの際に、
良かった良かったと言って頂き、とても嬉しくホッと致しました
そしてこの日は何と、幸子さんの誕生日だったんです~
決める時は、全く気付かずに決めたことでしたので、お母様もびっくりした。とおっしゃっていました。
今回のショーは、地元の皆様に支えられ、本当に感謝でした
今回、お越し下さいました皆様、そして、今宿の女将さんをはじめ、スタッフの皆さん、
そしてお客様をお集め下さいました、役員の皆様、本当に有難うございました
また、お会い出来ます事を、楽しみに致しております
新潟からは、昨日戻ったんですが、
帰りには、福島を回り、春日八郎記念館にも見て来ました
すると、その日は、春日八郎さんの命日でした。
21日は、村上幸子さんの誕生日
そして22日は、春日八郎さんの命日と不思議な気持ちになりました。
今回の新潟は、大変有意義な3日間でした
お連れ下さいました、埼玉の社長さんをはじめ、
ご一緒下さいました応援者の皆さん、
そして、私の歌を引き立てて下さいました、
津軽三味線の津軽悦子さん、本当に有難うございました
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